まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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ザ・コーポレーションを観た

いやはやすげー狭いシアター。整理券番号を見るに、50人しか入れない。これほどある意味豪華メンバーの映画なのに、こういったシアターでしか上映できないっていうこと自体が、この映画が語ることそのもの、と言う感じすらする。
映画自体は、映画というよりはドキュメンタリー。ピータードラッカーチョムスキーマイケルムーア等々、錚々たる面々が、会社って、何でこんな風に暴走するようになっちゃったんだろうね、というようなことを、様々な事象に対するコメントとして述べる。カネという、比類のないほど冷徹である意味平等な価値の物差しの力が暴走を招くのか、「企業」という恐竜的存在が、企業を構成する人間を傲慢にしていくのか。メディアか、あるいはメディアをfeedする広告屋が人を白痴にするのか。モノを消費することに価値を見出すように人間を洗脳するのが広告で、広告に洗脳された白痴化した庶民が、白痴的な価値観でもって政治家を選び、政治家は企業を肥え太らせる...。まぁ、だからといってこの映画の落としどころはないだろう、って感じだ。ネタバレはダメなんだろうから詳しくは書けないが、庶民というか平凡な一般市民というのは、もっと違った方法で、賢くなっていかないとダメでしょう。
ちょうど、この映画を見に来る前に、渋谷で大学時代の友人とヒルメシをしながら、某ブランドのグッズを社内販売で90%引きで買える、90%引き「なら、何でも」欲しい、みたいな白痴的会話に付き合っていたせいか、ブランドってのも、つくづく罪作りで幻惑の象徴で、ほぼそれこそ90%引き程度の価値しか、アタシはブランドと言う現象そのものに価値を感じてないんだなぁ、などと映画を観ながら、また帰り道にも引き続きそんなようなことを考えていた。結局、彼女とて、そのブランドを持つことによってなんとなく自分の価値が上がるような錯覚に浸っていたいだけで、でも、そのために使ってもいいと思うカネは、売り手側が正価としてつけている価格の10%でしかない、ってことだよね。
私の場合、カバンは丈夫で使い勝手がよければいいし、時計は電波時計でずっと時間が正確ということにこよなく意味を感じるほうだし、ホテルのチェックインのとき見られるのは靴と時計だなんて、そんなもの人格とは何の関係もないよ、それこそ広告屋の戯言だとしか思わない。それでもあえてブランドが無価値だと思わないのは、残りの10%は、自分がそのセグメントで、どうしてもモノを選択しなくてはならなくなったときに、比較調査に十分な時間をかけられないときのシグナルとして便利だよね、っていう部分だけだ。