まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

ダイアリーから移行しました

ウェブ進化論

まだ読書中。だから、今読みながら頭に浮かぶことをメモ。

・「あちら側」に情報発電所を置いて端末にソフトのアップデートの負担をかけない Google と、メインフレームのコンセプトの違いは?

・ 「持てるもの」によって忌避される類のものである一方、「持たざるもの」にとってはもの凄い武器であるときにその「力の芽」は着実に育つ、という判断基準。御意。

・「玉石混交」問題について
そんなに難しい話じゃない。たまたま韓国に暮らしたり、書き物をしたりした私の実体験として、梅田氏言うところのエスタブリッシュよりも韓国人と直でコミュニケーションできる、非表現者がどれほど多く、特定分野に強い非表現者がどれほどいるか、これは「現場」にいる人間なら残念ながら誰でもわかっている事実だ。彼ら彼女らは、マスコミの下請けとして情報の整理役をさせられ、マスコミの下請けとして韓国人と直に接して使われてきた。そんな彼ら彼女らに発信のツールが与えられれば、起こるだろうことはある意味わかりきったことだ。そして、こんなことが、特に韓国だとか、中国だとか、そんな場所だけでなく、あらゆる小さなコミュニティで起こっているのだろうと思う。
ただ、今まで非表現者であった人たちと、エスタブリッシュな場所にいた人の、とりあえずの違いは、何かを伝えるための表現力と、スピード感ではないかと思う。特に、新聞、テレビなどの媒体が何かの情報を発するときのスピード感というのは、とにかくすごいなと感じたことは何度もある。そして、「スピードを求められてないなら、ある意味クオリティはいくらでも上がるよな」とも思うし、決められた何らかの時間内に出せるクオリティにおいては、おそらく訓練を受けた人間と、そうでない人間の差は大きいように思う。まぁ、そういったスピード感の差や、表現力も、これからは徐々に大勢の人の目にさらされて、鍛えられていくのだとは思う。そして、まぁ一種の幻想としての「物書きはちょとエライ」、みたいな神話も、崩壊してしまうと、粘り腰の表現者の卵、という、マスコミの格好のネタという層も、再生産されなくなっていくのかな、と思うと、それはそれで、ひとつの何かの終わりを予感させるものでもある。