まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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古き良き時代のOLたち

りそ夫が社会人になったかれこれ20余年前に、最初に配属された部署の、古ーい同僚からの誘いをきっかけに、私もジョインして大久保でプチ同窓会。
彼女らは男女雇用機会均等法が出来るよりも前にOLを始めていた人々で、それぞれすでに当時の会社を退職し、妻になったり母になったりならなかったり、それでも20年も前の職場で起きた様々なことのいくつかは、昨日のことのように彼女らの頭の中に残っているから、おのずと話題も20年前のことになる。
大卒女子の存在自体がおそらく珍しい職場で、彼女らはアシスタント的でありつつ、会社の底辺を支える事務には精通すべく順繰りに引継ぎがなされ、高学歴一流大学を卒業してきた世間知らずの坊ちゃんたちを顔で笑って心で哀れみながらも母のような寛容さで育て、出世という階段を、自分が育てた坊ちゃんたちが昇っていくことをこれまた母のような心で見守り、報酬には決して反映されないけれども、いつまでも心の中で坊ちゃんたちからはマドンナのように、あるいはお姉さまのように、頼りがいのある妹のように感謝され愛されていく...というような、そんな働き方だったんだなぁと、話を聞いていて感じる。
自分には決してできなかった生き方だなぁ、とは思うけれども、何かの形で、組織というかチームというものには、なんというかこんなけなげというか献身的というか、そんな機能を果たす誰かが存在する必要が、もしかしたらあるのかもしれないなぁという感じを受けた。
でも、だからといって、女子が一方的にその役割を負わされていた時代に戻るわけにもいかないし、派遣という奇妙な仕事の形態も一定の必要性があって世の中に受け入れられているわけだし、そうすると、こんな献身的なものというのは、成員ひとりひとりが、少しずつ自分の中から出していくしかないのかなぁ、自分の中から、チームを結束させるような接着エキスというようなものを少しずつ出していくように、組織は作られていかないとダメなのかなぁ、なんていろいろ思ってしまう。
あの頃がよかった、とは決して思わないし、母のような寛容さや人柄の良さ「だけ」では、仕事を担ってはいけない時代になっちゃったよね、とは思うけども、面倒で、各人のジョブディスクリプションのスキマにこぼれた球を、さっと拾いに行く人に感謝するような雰囲気は、まだまだ組織運営には必要なんだよなぁ、と、このところ思ったりするわけであります、まじで。