まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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「年賀状は必要悪だ」って言わなきゃだめでしょう

NBOnlineのコラムのタイトルに惹かれてアクセスしたが、あんまりタイトルと中身は関係なかった。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20080121/144822/?P=1&ST=sp_web

ただ、「年賀状は贈り物だと思う」は、わたし的には大チョンボのキャッチコピーじゃないの?って年末から思っていたので、広告の結果には関心があった。やはり、というべきか、前年度実績を大幅に割ったらしい。
年賀状は、別に義務じゃないけど、必要悪だ、とわたしは思っている。その他にも必要悪はいっぱいある。結納とか、仲人とか、冠婚葬祭系にそれは多いように思う。つまり、しきたり。
送らないってのは、怠け者の象徴みたいだよなぁ、社会人としてどうよ、年賀状を送るほどのカネもないの?人と人のつながりをなめてんじゃないの?出さないなんて、情緒がないよねぇ、1年に一度のことなのにねぇ、...等々の、何の根拠もないプレッシャーの中、慌てて書いたり、「遅くなってスミマセン」とか頼まれもしないのに謝ったり、「年賀状ありがとうございました」とか書いて返事したりと、この、うっとうしくわずらわしいけどしかたがない、ちょっといいところもあるよね、という年賀状。

この、誰にも鬱陶しくて、なんだか理解不能なところがあって、でもしきたりにはそれはそれでいいところもあるわけで、だからまぁそこそこ非常識といわれないために、辻褄を合わせてきたもの。
これを、ことさらに特別なコミュニケーションツールに仕立てようとした瞬間に、年賀状は特別で、心をこめなくてはならないものになる。しきたりじゃなくて、個人の心の問題でいいんだ、と。
皮肉なことには、心をこめてまで書き物を送らなくてはいけない相手というのは、おそらくどんなにがんばっても1人あたり10〜20人程度であって、顔も定かでなく、数年に一度の法事にしか会わないような親戚には、心をこめようにもこめようがない。だから必然的にこれらの人々には出さないという迷いになる。これまでは、あて先と、「ことよろ」くらい書いて投げ込んでいた年賀状。あぁ、なんだ、特別な人にだけ出せばいいんだね、ふーん、じゃ、まぁ、父母と幼馴染でいいか、となってしまう。
マーケ的には大失敗。いや、もしかしたら、年賀状という仕組みを、郵政は、本当は事業負担の大きな鬱陶しいものだと思っていて、緩やかな死に向けていくキャンペーンなんだとしたら、それはそれで納得するものが。