まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

ダイアリーから移行しました

山岡洋一氏、逝去


旅先で、スマホ日経新聞を読んでいて知った。
ちょうど数日前に、同氏の新しい訳書の広告を見かけ、(たぶんスマート・パワーだったと思うがはっきり覚えてない)ここ数年は国富論の新訳などに取り組んでおられたようだったので、時流に乗った著作の翻訳は若手に譲られたのかなぁと思ってたけどそうでもなかったのかなぁ、なんてふと思っていたところだった。


翻訳を仕事にしようと思ったことのある人なら誰でも、同氏の翻訳と、翻訳に向かう姿勢を自分に照らして、何かしら感じ、学ぶことがあったはずだと思う。


直接お目にかかったことはなかった。お会いできるなら、とも思っていた。
以前在籍した職場は、同氏と浅からぬ縁のある会社だった。知らずに入社して、すごく驚いたことをよく覚えている。ごく時々だが、同氏の若い頃の話になった。若い頃から翻訳には厳しくて、多くの人が彼の厳しさについていけずに脱落していったという話も聞いた。誰よりも翻訳に打ち込む人だった、とも聞いた。


自分の、翻訳に向かう姿勢は同氏のそれに比べて、どうだろうかなぁと思ったりした。私は英語の翻訳者ではなかったので、同氏の翻訳と自分の翻訳を比べて、自分の足りなさを痛感するような機会はついぞなかったけども、原著を読んでは同氏の翻訳と、私の頭の中で理解したこととを比べてみたりもした。


稼げない翻訳は翻訳じゃない、という意見には大いに感化された。
今は翻訳をするほうではなくてお願いすることのほうが圧倒的に多くなったが、1時間あたり5,000円の付加価値も産めない(時給5,000円を払ってもらえない)翻訳者はプロの入口にも立っていない、というのが今も私の物差しだ。なぜなら、最低でもそれくらい稼がないと、サラリーマンと同等の収入を得ることはできないから。時給5,000円をきっちり稼ぐには、もちろんスピードも必要だ。仕事が途切れたときにも、ぼんやりしていないで新しいことを勉強し、単語のグロサリーも整理し、営業もする。今だったら、PC環境を万全の状態にしておくことも必要。間違ってもPCの調子が悪くてメールを受け取れませんでしたとか、データが消えましたなどと泣きを入れることなど許されない。だから、休むヒマなんてない。もちろん気分転換は重要だけども。
5,000円以下の報酬で、働いているつもりになっている自称翻訳者は、自分をアマチュアだと自覚していないか、そもそもこの職業に向いてないか、ということになる。実際、時給5,000円を確保できないままに外国語を日本語に置き換える作業を続けていると、翻訳者としての手はどんどん荒れていく。まともな日本語を選び、全体を整え、勉強を続ける時間さえ確保できないというありさまになり、結局、質の低い翻訳だと評価されて、仕事を失うことになる。仕事がなくなれば焦って安値の仕事にまた飛びつき、別の意味で休むヒマがなくなる。悪循環。そんなふうになりたくない、そんなふうな人に翻訳をお願いしたくない、と、山岡氏のあちこちでの発言や、著書を見て、そう思い続けてきた。


山岡洋一氏は、翻訳を愛しながらも、きっと生き急いでいる人の中の一人だったのだろうという感じはずっと持っていた。自分にも、おそらく周囲にも厳しい人だったのだろうと思う。特に、仕事という意味においては。

うーん、それでも、生・山岡に、一度はお会いしたかった。
天国では、是非ゆっくりお休みください。