まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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お疲れ!

企画提案書1件を朝から見直し、叩き出して一息つく。
昨日米国から届いた納品物のクオリティが低いので、うむむとうなりつつ改善要求を出す。開き直られたらどうしようもないもんなぁ。午後はずっと納品物の原稿整理、翻訳発注。集中度が高くなりすぎて頭が痛くなってくる。
午後7時に八重洲ブックで昔の会社の同期の友人と待ち合わせ。先週もそういえば別の同期と二子玉川でメシ食ってたなぁ私。
久しぶりでしゃべりに花が咲く。ヤツも結構こき使われている様子ではあるが、もともと仕事好きのほうなので、文句を言いながらもそこそこやっぱり今の職場はとても楽しそうだった。

共通する某社のサービスぶりのひどさに盛り上がる。あの会社はどういう理由で世の中にあるんだー、って、彼女はいきまくが、まぁ、出来たときにはそれなりに理由があったんだよ。時代が変わる中で、中にいる人の意識だけが変わらず、外から求められているものと、中にいる人が描いて追求してきたキャリアパスとが合致しなくなっちゃったんだよ。こうなると、どこかの時点から、中で働く人にとっては、会社として付加価値を外に向けて提供していくことではなく、会社をつぶさないことが目的化して、事態はどんどん悪化していくんだろうと思う。もうかってないから予算がない。予算がないから調達すべきリソースもきちんと調達できない。よって商品も中途半端なものばかりになる。誰も買ってくれない。だったら、すっぱりと路線を転換すればいいのに、それもできない。何かのプライドが邪魔をする。商売において、客が求める付加価値をきちんと提供するためにする努力以外に、守るべきプライドって、そんなにたくさんないはず。難しい入社試験をくぐり抜けて入社したから、とか、先輩たちはみんな、40代にもなると××なこととか、××な場所とかで××な処遇を受けてきたから、とか、そんなこと、今の自分には関係ないよ。
...てなことが、今では立場の異なる私たちなのに、なぜか同じような体験をしていることで、明らかになっちゃった。

久しぶりの彼女からは、脳の疲労やストレスとうまくやっていくために、人間は五感を刺激する活動を自然と欲しているんだそうな、という説を賜る。
いいな、と思う景色を「見る」、音楽を「聴く」、マッサージなんかを受けて「触る(ていうか触られるほうだなこれは)」、アロマで「香り」、そして、ダイエットだのなんだの言わずに(このあたりまゆつば!)、美味しく「食べる」。
おぉ、ほぼ全部やっているな。そういうことだったか。はからずも、脳が疲労しているのか、ストレスがすごいのか私。

なんとなく、それでも本当にすっきりした気分になって帰宅。週末の持ち帰り仕事はあるが、こうして友人との時間を過ごすと、リフレッシュするように思う。