まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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とりあえず備忘メモ

11月14日日経1面。「試される司法」から。
「カッとしての犯行ならまたやるはず」
「日本弁護士連合会に衝撃が走った。」
「計画的なら量刑を重く、偶発的なら軽くする刑事裁判の常識を覆すからだ」
「計画性がないなら再犯の恐れも強い」と重い刑を選んだ市民感覚
「長年積み上げてきた刑事弁護のイロハが通じない」と危惧。
「素朴な市民感情が法廷に持ち込まれると厳罰化に向かう」

うーん、私も、素朴な市民のほうの感覚だな。
カッとしてとんでもないことを言い出すような人、ものを投げたり壊したりする人というのは、いさめられたり何かを失ったりして一時的には反省しても、また同じことを繰り返すんじゃないか、というのは、素朴にそのとおりじゃないの、と思う。
裁判所で、「まぁ偶発的だったんだからぁ」とか言って加害者の人権を保護している間に、また「カッと」されて殴られたり刺されたりする被害者の人権はどうなるんだって、つい思ってしまうけど、これって思慮が浅い素人考えだろうか。
何かが起こってからでは、被害者や被害者家族には、遅いんだけど。
社会全体の秩序のために、裁判というものがおこなわれているのなら、しかたがないと思うけど、被害者は置き去りってことではやりきれないよ。

または、カッとして犯罪を犯した人と、計画的に犯罪を犯した人の、その後の再犯状況を調べてみれば、何かしらの傾向というか、説得力のある何かが出てくるんじゃないの?そんな単純な話でもないの?

なにせ、昔からのことわざ?にあるじゃないですか。「馬鹿は死ななきゃ治らない」って。
反省することはできても、気質を変えることって難しいのではないか。
幸いに、命を落とすほどの目にはあっていないけれども、カッとなって暴言を吐くとか、肉体的ではなくても精神的にかなりの傷を相手に負わせる人というものに私だってよく遭遇する。そして、そういう人は、それを繰り返す。まぁ法律で罰するほどのことじゃないのかもしれないが、どうしても、敷衍してしまうのは人情という気もする。