まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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ハロワ、飲み会

お天気悪い中、朝からハロワへ。今日はえらく込み合っている。どうも月曜は込み合いがちなんだそうだ。理由はなんだろうね。サラリーマンなどをやっていると、月曜の朝なんてとても憂鬱で、職場がなければずっと家にこもっていたいくらいのはずなのに。

今日の手続きのために書類を所定の場所に置くが、その後どうアクションしたらよいのか指示がない。先日来た時にも、その指示はなかった。なんとなくみな、その近辺で手持ちぶさたに椅子にかけたり、立ったりしている。行列している様子もあるようなないような、で、この先何が起きるのかサッパリ見えない。次に起こるイベントもわからず、それがいつ頃に起こるのかもわからないというのは、ちょっとサービス業的にはありえない。まして、コンビニに通うとか、マクドに1週間に一度は行くね、とか、ユニクロでパンツの試着と裾上げはまあ半年に一度はやるから、なんとなくどうしたらいいのか、指示があいまいでもわかる。ハロワの場合は、そうそう常連として定期的に通う、というのもないわけで、初心者でもわかるようになっていないというのは、サービス業としてどうなの。

やがて30分ほど待たされたあげくに、とてもじゃないが聞こえないほど小さな声で、どこだからわからない方向から、何の目的で呼ばれているのかわからないまま名前を呼ばれる。それでも、カクテルパーティ効果らしく、自分の名前はわかる。そういうことをわかっての段取りなのかわからない。だとしたらそれはそれですごい。自分の名前以外、ほとんど聞き取れないもんねぇ。

それにしても概してハロワは業務の要領が悪いというか、顧客志向になっておらず、たずねてきた顧客が、自分にその日必要なサービスを得るためにどう動けばいいのかが明確に提示されていない。顧客たる失業者なり求職者は別にハロワを使うのに金をはらってなんかいないから仕方ない、という見方があるとしたらそれは違う。私たちは税金と失業保険という高いサービス代金を、否応なく払わされている。このサービスレベルが、その高い代金に見合っているとは思わない。やはり、失業給付金を一定の条件の下に支給するという組織のレベルにとどまっているんだな、と思う。

夜は、敬愛する韓国人の研究者某と新橋で待ち合わせて一杯。途中でやはり敬愛する台湾人の研究者某が合流。この人たちはいずれも私よりも日本語がうまくて困るんですけど。まるで機関銃のように話しまくってお開き。結構気難しい話とかもするので、多人数で集まるよりも、3人、せいぜい4人くらいでの集まりがいい。

それぞれ異なる民族の立場で抱える気難しさ、またはこだわり、または迷い、をそれぞれに笑いにくるみながら差し出し合う、こういう飲み会がしみじみ私は好きだな。