まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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エネルギーのことを書いてみる


あんまりこちらの日記には仕事絡みの具体的なことは書きたくなかったんだけど、たまには書いてしまう。


地震のあとの発電所事故で、ずいぶん原子力への風当たりが強い。
私はエネルギーというか、まあ原子力のほうにかなり近い分野のことを調べて整理して伝えるような仕事をしているので、間違って私にまで八つ当たりする人もいる。原子力なんてダメだー、と、私に向かって言って来る人もいる。


国民全体にショックを与えた出来事だったのだから、精神的に少し普段と違う様相になっても仕方がないとは思う。理解はする。
ヒステリー症状だって仕方がないと思う。
原子力はもういやだ、というのは「気持ち」なのだから、それを否定したところであんまり意味もないし、少なくともこの国でそんな「気持ち」になる人がいることもよくわかる。そして、そんな「気持ち」の人が多くなれば、これ以上の原子力発電所というのは、もう難しいだろう。


だけど、そのことと、現実、今の段階で極めて非効率な再生可能エネルギーを、あたかも今すぐにでも原子力を代替できるかのように、声高に主張する人がいて、その主張の多くが、下のような、基本中の基本ともいえるようなことを踏まえていない、ということに、なんというか、脱力感というのかなぁ、そういうのを感じる。

たとえば、施設の設備容量と、実際の発電量とは違う。
同じ100馬力のポテンシャルを持っていて、1日にせいぜい2時間くらいしか走れない車と、1日にまあなんとか18時間くらいは走れる車とを、同じ100馬力のポテンシャルだからと、同等だと思う人があるだろうか。
18時間走れる車と、2時間しか走れない車は、たとえばまあサイズとかが違っていて、2時間しか走れないのは、その車が支障なく走れる道が大変少ない、という車自体の責任とは言い切れない部分もある。だけど、今この瞬間、2時間しか走れないのは事実で、今後じゃあ、2時間しか走れない車が快適に走れるように道を変えていこうか、というのは、今からもちろんとりかかる必要はあるのかもしれないけど、本当に今この瞬間に2時間しか走れない車のために、この先10年20年のことを見越して、道路を2時間車用に整備することが適切なのかどうかは、もっと検証が必要なんじゃないだろうか。だって、10年先20年先に、その車のポテンシャルだけが驚くほど技術革新して、10時間走る車や、12時間走る車や、18時間走る車のポテンシャルをはるかに超えると誰が言い切れるだろうか。
まあ、技術革新は投資金額に完全に比例するというなら別だけど、そういう理論ってあるのかな。

そう、2時間しか走れない車って、風力発電のことだ。18時間は、原子力発電所
18時間くらいは走れる車は、それはもう便利だけど、ごくまれに人間の想定を超えて暴走してしまうことがあって、暴走すると手がつけられないようだ。でも、これも未来永劫そうかというと、暴走しない手立てを考えた上で制御していこうという考えだって検討されていいだろう。でもたぶん、排気ガスは出すけど10時間くらいは走れて暴走しない車を、と考えるのが今のところの現実的な落とし所じゃないだろうか。

そして、車とは違って、電力は、10年後20年後のために今しばらくいったんはストップしておいて、2時間車が走れるように道を整備しよう、というもんではない。18時間車を走らせることをやめたから安全になってよかったね、ではすまない。10年後20年後に2時間車が快適に走れるように環境を整備することと、今、この瞬間の電気を、経済的に国民が許容できる値段で、切らず供給し続けることは、どちらも同じくらいちゃんとちり組まないといけないことだ。


話変わって、じゃあ浜岡原発を停止しても、大丈夫だ、という話。中部電力には、今使われていない発電施設は確かにある。でも、施設があることと、それを経済的に、すぐに今活用できることとは別だ。

車が100台あって、でも、たとえば10台分のガソリンしかなかったとする。この場合に「走れる車」というのは100台とカウントするべきだろうか、10台とカウントするべきだろうか、ということを考えてものを言っているのだろうか、ということも甚だ疑問だ。
だって車はいくらでもあるんでしょ、だから大丈夫(何が大丈夫?と言いたいけど)っていう話は、誰が聞いたって変。でも、話がこと発電の話になると、急にそれでもいいことになる。
今、問題なのは、車が足りないかもしれないこともさることながら、ガソリンが、フィージブルな値段で調達出来るメドが立ちにくい、ってこと。いくら車がたくさんあるよ、って言ったって、燃料がなければ意味ない。


このあたりを、うやむやにしたまま議論している人というのは、意図的にうやむやにして、2時間しか走れない車を、無知な顧客に売りつけたい人か、そうでなければ、車があることと、それを動かすガソリンもあることとは別のことだということすらわからずに車の走行可能距離の話をしている人か、どっちかだ。両方、ってことはあまりないかもしれない。いずれにしても、そういう人をエネルギーの専門家だとか、エネルギーのことをよく考えている人だとか、ビジョンのある人だとか思うのは、間違っている。
こんな初歩的なことは、是非、普通にわかった上で、エネルギーのことを考えてほしい。

ごくたまにだが暴走する車はやっぱり困る。困るけど、じゃあなぜ一足飛びに、2時間しか走れない車をたとえば4時間走れるようにするために、補助金漬けにしなくちゃならないのだろうか。どっちでもない手立てを考えようとするのが本当じゃないのだろうか。