まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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旧交をあたためた日

なんというか、今日は一日中ずいぶんいろんな人とのコミュニケーションがあった。


6時20分起床、コーヒーを飲もうかなどうしようかなと迷ったが、頭がぼーっとするのでやっぱりコーヒーをいれることにして、身支度。朝メシを外で約束しているからしかたないとはいえ、朝あまり手先を動かさないと目が醒めない感じだ。


8時に山の上ホテルで韓国からの来客、某出版社会長と朝メシ。天ぷらと和食の「山の上」で朝定食が会長との朝メシでは定番なので、そこに出向くと、時間のせいもあるのか、いや、およそ最近は朝8時とか8時半にメシの約束をしてたから、特別に早い時間というわけでもなかろうに、珍しくカウンターに一人客が3人、テーブルにも4人組。これってなんだろう。日本の景気も回復基調か?と感じるが、自分に降りかかってきたラッキーではなくて、傍観者としての景気回復の兆し。

給仕のネーチャンがほうじ茶を持ってきたきり、お盆などを暇そうに拭いて注文も取りに来ないので呼んだが、悪びれる風もなく、謝りもしない。日本は変わったのかもとまた思う。


そんな話をつらつらとしながら他愛もない話をしていたら、9時半になったら、彼と私を10年以上前に引き合わせた韓国語の師匠が来るという。あの頃からちっとも変わらずコキタナイ事務所で韓国語の個人授業などをやりながらどうにかやっているようだが、会長いわく、結構率直に「今困窮している」というような相談があったみたいだ。うむー。韓国語の世界も変わったからな、過去のどこかの時点での優位性は決して永続などしない。会うべきかどうすべきかと思ったが、約束よりも15分も早くやって来ちゃったからもうしかたがない。少し老けたようだったけど、昔とそう変わらない。変わらないことが良いことなのか悪いことなのかわからないが。


職場に出勤しなくてはならないので、9時40分ごろに二人を置いてホテルを出る。御茶ノ水界隈をこんな風にぶらぶら歩いていると、韓国から帰国してしばらく、出版関係の仕事を彼らの縁であれこれやっていたことを思い出す。あれはあれで、自由で楽しい時間だったよな、などと、時間に追われる今はそう思ったりするもんだ。


職場には10時過ぎに入って仕事。
19時めがけて新橋へ。大学院の研究室仲間と一杯。2年間の大学院企業派遣で得たものは、ロングバケーションと昇進競争からの脱落、と自嘲気味というかプチ不幸続きの後輩が嘆息する。そうかと思えば、某日本のエスタブリッシュ企業から、ある意味競合他社であるエスタブリッシュへと転職するという中国人留学生の後輩は、日本人だったら絶対にありえないよなぁというほどのラッキーな転職というか引き。中国人ブランドは強いな。


大学院で勉強することは、それほど何か大きな変化をもたらすものではないけども、それにしても、ある意味選抜されて企業派遣になったヤツを、戻ってきた後生かせない会社というのが今もあるのか...となんとなくビックリし、そんな待遇を甘んじて受け入れて、人生こんなものかなーとかうそぶいているキミも、家庭を守るために一定のキャッシュフローの安定は必須だとはいえ、少しく覇気がないものだなぁと思う。少なくとも、つまらなそうな顔をして仕事をしている状態は精神的にかえってつらくないだろうかなあなどと、まぁいろんなことを考える。


二次会に茶を飲んでいたら沖縄在住の妹から連絡。ダンナが仕事で会う相手が私と同じ大学院出身ということで情報収集していった結果の報告。人の縁は思わぬところにある。そうこうしているうちに23時を過ぎてしまったので、吉祥寺までJRで向かい、深夜バスで帰宅。


結婚式の媒酌人をつとめてくださった方に拙著を贈呈したことに対するお礼のはがきが来ていた。韓国語に少しは関心がある模様で、はぁ確かに何かしら、様々な世代に変化を引き起こしているのだな、韓流は、という感を強くする。それにしてもはがきの宛名に「〜先生」とあるのには笑った。あの世代の人々にとって、本を出すヒトというのは先生なんだろうか。そういえば朝メシの後に会った師匠も、ことあるごとに本を出したい、と言っていた。今日だって話題のほとんどは、私が本を出したことに対するコメントばかりだった。うむー、出版業界を知る者にとっては、1〜2冊の本、いや、5冊まではあってもなくてもほぼ同じだと思うし、0冊と1冊だってたいした違いは本当はないと私は思っている。


そんなこんな考えつつ、風呂入ってトリノオリンピックなど見ながら日記を書いていたら、あれまーもう2時半だ。ソウルで遊びほうけているダンナはまだホテルに戻っていない模様。あーあ。