まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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覚書 少子化

少子化議論が、さすがに盛んになってきた。韓国も急速な少子化で、約10年前に韓国にいた頃に、結婚したらソッコー子供が出来る、という同年代の連中のライフスタイル?を見慣れていただけに、今の少子化というのがなんだか相当隔世の感がある。韓国は、ずいぶん前から日本で言うところのニートというかフリーターというか、そういう連中は多かったわけで、もちろん経済格差ももともとかなり極端だったわけで、それでも結婚すればみんなすぐに子供を授かっていたし、大学院に通うといってブラブラしているダンナを養うために、外資系企業で働いて、毎年ビックリするような賃上げ要求をして頑張る女子、というものが存在するのだなーということも知った。あの頃の彼ら彼女らの行動形態を見ていると、別に経済格差を縮小したり、ましてフリーターやらニートやらに職を与えたりするために税金を使う、ってのは、あまり頭の良いやり方とは思えない。
自分もたまたま子供を持つチャンスを逃してしまったりしているので、どっちかというと少子化に加担しているというか、子供を持たないほうの人間の気持ちがわかるほうだと思うけど、もう、これは明らかに女性による出産ボイコットでしかなくて、なんでボイコットするんかというと、出産後に、それ以前の自分のプライドが社会の仕組みによって踏みにじられるから、ということしか思いつかない。少なくとも、表層的な部分のプライドというのはどっちかというとおそらく普遍的なもんではなくて、社会の仕組みの中で形作られるものだから、子供を持つために仕事をやめざるを得なくなり、復帰しようとしても以前のような待遇が与えられるどころか、数年間の社会人としての努力を踏みにじられるような職場しか与えられないこともそうだし、子供を抱いて駅の階段をえっちらおっちら登れば、メーワク顔で見られることはあっても、誰かがスマートに手を貸してくれることなど皆無。あぁ、産休を取って職場復帰しても、休んでいたというただそれだけの理由で、自分よりもうーんと無能なオトコが昇進の階段を登っていくという屈辱というか理不尽、という話しもあったな。やっぱり、社会の邪魔者扱いされている屈辱感が最大のネックなのでは。子供はおそらくかわいいのだろうけども、もってみなけりゃわからない。友人の子供、オイやメイは、まぁ普通にはかわいいけども、だからといって屈辱感を甘受してまで子供を持ちたいものかどうか、わからない。まぁ、世の中ずいぶん屈辱感を持つような濃密でうっとうしい人間関係はなくなってきているわけで、オカーチャンであることが屈辱感をもたらす希少な機会だとしたら、そんなことをわざわざ体験したい人は、普通はいないだろうなぁ。