まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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偉大なり、ダジャレ大魔王

夕方から、しばしばお世話になっている某大名誉教授に挨拶に。挨拶のつもりだったのに、さあ、じゃあ皆で寿司食べに行きましょう、と誘われ、夕方5時から飲み始める。研究室の生徒さんと、他の大学で勉強しながらも、時折相談に訪れているという学生さんと。
名誉教授某は、ダジャレ大魔王で、いつ炸裂するかと思うと、一時も気が抜けない。以前寿司をごちそうになって帰ってきた部下は、ダジャレに付き合って疲れ果てたと言って戻ってきたが、私の年代だと、周囲にはいつもたくさんのダジャレ大王がいた。免疫というか瞬発力はあるんですこれでも。
ダジャレを言う人は嫌いではない。暗い人でダジャレを言う人を見たことがない。だいたい常に明るくしていて、いつ人を笑わせようかと狙っているあたりがいたずらっぽく、かつ相手との関係を良くしようという気持ちがあふれている、気がする。
名誉教授某の場合も、名誉教授というくらいだからそれなりのご年配なのだが、若い20代の学生さんが彼を慕ってやって来る。赤く添削してもらった論文は、彼の温かさの現われだと私は感じる。思い起こして、それを残念だ、とまでは思わないけれども、私の大学院の先生は、添削と言うものをしてくれたことがなかった。添削することは相手の考えたことに寄り添っていくこと、結構しんどいことであるし、あまりに自分とレベルが異なると、添削というか作文を直しているというか、文法の先生みたいになってくる。文法はOKでも、論理がぐちゃぐちゃだと、その論理がどうやって出てきたものなのか想像しながら添削するから一層疲れる。ことほど左様にくたびれる作業を、学生さんに付き合ってやってくれる先生というのは、教える人間として、ホントに偉大だと思う。私の先生は頭脳明晰この上ない人だったけど、教える人として偉大かどうかはまた別問題。ウーン、それもちょっと違うか、教え方のスタイルの問題だと思うけど、添削はいずれにしても疲れること。頭が下がる、というのはこういうことか。
こんな人生の先輩が近くにいて、アドバイスしてくださることは幸福なこと。