まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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飲み会で知る、私の知らない韓国

午前中のうちにハロワに用事。帰路でラーメンが食べたくなり、先日できたばかりのとんこつラーメン屋に向かうも、まだ本日営業していない。くー、がっかり。長浜ラーメンは何度も食べているので、初挑戦の駅近くの某店へ。客は私以外なし。頼んだラーメン、前代未聞のまずさに閉口。スープはしょっぱいし、炒め野菜は油でギトギト。失敗。


いったん帰宅してたまった新聞を読み、たまったニュースフィードを読む。その後録画してあったNHKハーバード白熱教室を見る。面白すぎるぞ。


夕方から市ヶ谷の韓国料理店で飲み。私の知人の韓国人LとCを引き合わせるという名目はあったが、実態としてはただの気楽な飲み会である。それでも、とても面白い話を聞いた。これまで聞いたことのない、私の知らない韓国、の話だった。


白熱教室とは趣は異なるものの、焼酎のジンロ(真露)の創業者の話が強烈に面白かった。
もともと北朝鮮出身の創業者、張学葉が、朝鮮戦争を機に南に移り住んで創業したのが真露焼酎の始まり。真露、韓国人の心のふるさと、かどうかまでは知らないが、成人で一度も飲んだことのない人など、いないのではないか、というほどのポピュラーな焼酎だ。


事業の成功で一財をなした張学葉は、その金で高校を創立したという。それが宇信高等学校。1970年代のこと。朝鮮戦争が終わってベビーブームが訪れた韓国のいわゆる団塊の世代にあたるのが、今40代後半から50代前半の年代になるが、彼らがちょうど高校生の頃、宇信高等学校は創立されたとのこと。なにしろ団塊の世代だから、1学年が720人にもなるマンモス校になったようだ。


張学葉のすごいところは、1学年720人のうち300人の授業料を免除し、さらにその300人のうち200人には奨学金として1か月5万ウォンを支給した。当時の公務員の初任給が4万5千ウォンほどだったそうだから、大変なお金だと思う。奨学金をもらった学生の親は、泣いて喜んだという。


何のことはなくて、その泣いた親の息子が、今日一緒に飲んだ相手だったりするわけだが、今も張学葉の講話を忘れないのだという。自分は酒造といういわゆる「水商売」で一財を成すことができたが、この商売で儲けた金は、若い諸君のために使いたい。若い諸君は、水商売をする必要はない、自分が水商売で稼いだ金で、諸君はもっともっと立派な仕事に就いて欲しい、と。


こんな風に言われて、奨学金までもらって、奮起しない学生がいるだろうか。720人のうち180人が最難関のソウル大学に合格し、ソウル大を含む5大大学、すなわちソウル、高麗、延世、西江、慶熙に、合計で500人が合格したそうだ。


私たちと同年代の韓国人エリートは、こんな風に志の高い、若い人を育てようという気概に満ちた先輩に応援されて育ってきたのか。日本にもおそらく同じような時期には、同様のことを実行した人もおそらくいることだろうが、私自身はそういう話を聞いたことがないからわからない。


現代において、そんな先輩がおられたら、きっと今の若者も同じように奮起することだろう。そのくらいのことができるほどの財を成した経営者は日本にもいるはずだ。社会への恩返しの方法はそれぞれだろうが、私だったら、こんな風に、若者を奮起させることにお金を使いたいと思う。税金を払ったとしても、どこに行くんだか、自分がコントロールすることはできないからね。


宇信高等学校は今もある。なんとなく耳慣れた名前だなぁと思って、帰宅してから調べてみたら、ソウルに住んでいる頃、いろいろ手伝いさせられた出版社の住所にほど近いところにこの高校はある。最寄のバス停の名前が宇信高校前だったんだな。何も知らずに通勤していた。