まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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同期の桜会

掃除洗濯をすませ、10数年前にソウルに駐在していた時代の、駐妻の会に向かう。

自分が選んでおいてナンなんだが、サザンタワー4階のは、週末の昼間の女子会の定番とも言える場所になっているようで、入口に到着すると、同じような年代の、いかにもお集まり風の女性が何人も並んでいる。

本日の集合は7人プラス小学生の男の子1人の合計8人。ちょうどいいサイズの個室におさまった。
私は1996年に帰国して、もう14年、同じような頃に駐在していた仲間だから、最も最近帰国した人でも、すでに7〜8年が経過している。
あの頃とはずいぶん、韓国に住むこと、についての世の中のイメージは変わった。あの頃にはなかった羽田・金浦便もできたし、まあそれよりもずいぶん前のことだったかとは思うが、渡航ビザも不要になって長く経つ。
タクシーの運ちゃんに日本人は乗せない!と言われて下ろされそうになった私なんてまだまだかわいいもの、タクシーに乗ると、プラットフォームがガタガタで、足元から道路が見えた、という驚きの体験でそれ以来タクシーに乗らず、どこに行くにも市バスを使っていた、というそれはそれで勇気ある駐在員妻の話も、改めて懐かしく、笑えてしまった。

オリンピックは1988年に終わったというのに、なんだかんだいって、まだまだ後進国な国に来てしまった、という感じを持たなくもなかったあの頃とは、今のソウルは様変わりだと思う。あの頃の生活物資の貧しさといったら、一時帰国の際にドトールでコーヒー豆を買い、スーパーで袋の焼きそばと梅干を買い込んで帰る、買って帰ったものを分け合う、なんて当然のことだった。まだまだ日本からの本やCDの輸入は制限が厳しくて、日本語の本はほとんど売ってなかった。一時帰国した人が買いこんでくる雑誌がありがたかったなぁ。

そう言いつつも、結局今日集まった仲間は、みんな、なんだかんだ言って、現地で語学学校に通って、韓国語はぺらぺら、である。なんであんなに一生懸命韓国語を勉強したのかねぇ、韓流ブームが来ても、字幕なしでドラマを見られるくらいしかメリットがないよ、と言いつつも、一度身に付けた言葉は早々忘れるものでもない。
今、字幕翻訳の仕事をしている仲間が、何人もいることも知った。みんながんばってるよね。

時々こうやって集まるのもいい。昔話ばかりというのもどうかと思うが、意外に、今もみんな、心が韓国を離れがたく、今度旅行に行くんだよ、という話に、一同「うらやましー」と唱和する。あの頃あんなに早く日本に帰りたいとか何とか文句言っていた人までも。それぞれに、ソウルに何を置いてきたのやらね。