まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

ダイアリーから移行しました

現場主義的に

早めにデスクワークを切り上げて、20年もひとつの会社で中国担当をやってきた友人に、メシをおごるからと拝み倒していろいろ話を聞きに行った。

まるで、中国という国が今から3年前に急に出来たかのような騒ぎと、2〜3度中国に行っただけで全部わかった!と真顔で言う若手に、ほとんど言葉を失くすそうだ。そりゃそうだろうな。
20年、中国を見続けてきたヤツの話、今の中国の経済政策の姿と、日本人に、外国人にビジネスの面で見せる顔の背景には、ここまでの経済開放政策の流れがあるんだってことを、バラバラになったいくつかの事実、エピソードを聞くことで鮮明に理解できた。これはやっぱり、政策文書を読むばかりじゃぁわからないことだあね。

彼女の体験がもちろんすべてではないし、彼女の理解が全部正しいわけではないというのが普通の受け取り方だと思うので、多重にウラを取る必要はあるけれど、話の理屈は通っているし、分析だって抜け穴だらけというわけではないようだから、そこで感じたショックというのもきっと忘れずに心に留めておくべきなんだろうなと思う。

現場の人は強い。私だって、短い短い海外営業現場を体験してきたけれど、やはりその時間なりに、体験していない人に対して、分析的に話してきかせられることはある。シンクタンクだ、リサーチだ、コンサルだ、といっても結局前の職場で何してましたかという話になるのは、やっぱり現場でどれほど理不尽だったりアホらしかったり、おもしろかったり興奮したりの体験をしたかが、結構大切だったりするからなのだろうかな。

それにしても、私の大学の時の仲間の中でもガキを産んで(ちなみに、仲間うちでガキ産んだ率は4/11)、ちゃんと職場復帰してそれなりのポジションについた(正社員復帰率は1/4/11)のは今のところヤツだけなわけで、というか、結局ガキを持たずに働いている連中は全員それなりのポジションにいたりするわけで、ヤツの苦労も相当だっただろうに、小学5年生の一人娘が、「おかあさん、私将来、専業主婦になる」と言ったというから、皮肉なものだ。

そして、私も彼女もそうだろうけれど、ある一定の期間を、その地で暮らしたり、あるいは取引関係を長く続けると、どうにも国粋主義的というか、日本人がえりというか、そういうところが出てきてしまうのはどうしたわけだ。その一方で、日本もだめだなぁと思ったりもしているんだがな。