まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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教えるツボ

仕事を引き継いでいくときに、まぁ、いろんな教え方があるとは思うんだ。自分だって、古い昔にいったいどれほど、次の人が困らないような引き継ぎ方ができたかというと疑問だ。
それにしても、このところ次々と人が入れ替わっていて、ルーティーンだけをさばいている人間の引継ぎは手順マニュアルだけで終わったけども、客相手の仕事をしていた人、貿易に絡む仕事をしていた人の引継ぎは、たぶん、客を満足させるということはどういうことなのか、とか、そもそもこの商売の構造はどうなっていて、この商売に絡む自分たちの利益の源泉はどこにあり、おさえておくべきピンポイントはどこにあり、っていう枠組みを教え込まないと、なんの応用力もなく、前任者がやっていた作業だけを引き継いでしまうことになる。新しいことがおきたらもう対応できない、ということになる。

これって、教えるほうの人間の能力の限界か、そうでなければ、自分の存在がいかに重要なものだったということを間接的に誇示しようとするプライドの残滓か、その両方か、というところではないか。
前者の場合はともかく、後者の場合のプライドは、残念ながら尊重されることはありえない。
別れようと言われてから、今の関係にしがみつきたくなるのと似たような心理になることも分かる。でも、もう袂を分かつことは決まってしまったのだし、やっぱり戻ってきてよ、なんてことは、だいたいの場合、もうありえない。今さら自分の存在の貴重さを伝えようとしても、それは単なるエネルギーの無駄でしかない。もう、関係は終わったのだから。
別れを決めたほうは、その人がいない中でどうにか新しい人生を組み立てていこうと、すでに動き始めているのだから、そこに今から戻る場所はない。会社を辞めるってことは往々にしてそんなもんだ。代替が利かない仕事なんてない。

だから、自分の存在も含め、職場、チームなどの要になっている人間が抜けたらどうなるか、って言われても、少なくともトップマネジメントではなくて参謀役というやつの離脱は、どうってことないんだよね。少なくともその組織にとって、ダメージは大きいけど、取替えは十分に可能なんだ。