まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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現実逃避中

仕事が積み上がって、一時現実逃避中。
リンクはるのは後にして、何というか格差社会モノの議論が盛り上がっているなぁあちこちで。
NBOnline橋本久義先生のコラムが掲載されて、これにわーっと就職氷河期年代と覚しき人々が噛みついている。なんというか、私としてはどっちの言い分にも頷けてしまう部分があって困る。

格差社会モノの議論を読んでいて思うのは、職業社会の構造がかなり変わったからなぁ、ということと、インターネットが普及して、これまで物言わぬ下層だった人たちも、どんどん表現の場に出てきたからなぁ、ということ。職業社会の構造が変わる前といえば、いわゆるワーキングプア、本人的には一生懸命、というか、1日の時間のうち、8時間なりなんなりを仕事に捧げても、その対価で生きていけるだけの報酬がもらえてなかった人たちというのは、女子が就く職業に集中していたような気がする。看護婦とか、レジ叩きとか、家政婦とか、掃除婦とか。看護婦が看護師になり、男子が参入してみたら、全然食っていけなかった、っていう話がひとつ。男女の役割固定、みたいのが取っ払われたのは、女子にとって喜ばしいことではあるんだけどね。
インターネットが普及する前といえば、あたしのやってることってワーキングプア?ということもわからず知らず確認できず、弟子入りだったり、まずは実績を積むためだったりして、とっても食っていけないような報酬で、なんか苦しいなぁと思いながらもこんなもんかな、って仕事していた人もいっぱいいたはず。翻訳者とか、アニメーターとか、フリーライターとか。それが、あれ?なんかあたしってもしかして食い物にされてる?っていうのが結構白日のもとにさらされた感。
もともと、格差社会というか、詐欺とはいわないけど、食い物にされてきた人はされてきた社会だったんだと思う。その現実が、みもふたもなく、オープンになったというのが現実なんじゃないか。数値的検証はまったくやってないけど、実感として。

まぁ女子に低賃金労働が押しつけられていたっていうほうはともかく、弟子入り系のほうは、そうはいうものの、やっぱり底辺なりの苦労はしておいたほうがいいよな、っていうのが橋本久義先生に賛成するところ。
苦労だけして、周囲が見えませんでしたってのは問題だけど、底辺からそこそこ上までを見上げることで、自分がいる世界の風景が見えるというのは悪くない経験だと思う。あたしも翻訳者として、アホ呼ばわりされて下請けの最下層にいて、何段にも連なる上の方の風景がよく見えた。少し上にあがったときに、下請け最下層からはい上がってくる人の根性ありなしも、すぐにわかった。まぁ、だから苦労するのもそう悪くはないかもしれない、と思う。最初からナントカ長だったり、調達する側にいてしまうと、下請け最下層が、どんな気分でどんな手抜きをするとか、どんな風に弱いとか、結構想像を働かせないとわからない。私の場合、想像力がないから、最下層の経験はやっぱり必要だったんだよなぁと思う。