まち日記(旅と仕事と日々ごはん_時々走り)

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終戦記念日の九段下・朝

職場が九段下にある。朝から地下鉄駅の出口にかけて機動隊の若いお兄ちゃんたちがずらりと並んでいる。靖国神社の鳥居を望む内堀通りには街宣車がずらり。靖国通りのドトールからは、杖をつくような年代の男がよろけながら出てくる。これが終戦記念日の日本、靖国神社前の風景。あまりこれまで考えたこともなかったのだけど、えーと、ここに集まっている人たち、どうしたいのでしょうか。戦争で亡くなっていった戦友をしのぶため、靖国神社までやって来る?それはまぁ、庶民としては大いにあり、だと思う。街宣車のみなさんは、どうしたいのでしょう。戦争、負けたのに。この日、ここに来て、何を誰に訴えたいのだろうか。戦死した勇ましい人たちを見習って、誰かともう一度戦争をやらかそーぜ?まさか。天皇万歳?意味不明。中国、韓国と仲良くするのはやめろとでも?いや、別に残念ながらそんなに仲良くないし、無条件仲良くしようとするほどのお間抜けさんはおそらく、そんなにいない。よぉく気をつけろって?それはそうだろうけど、街宣車から言われてもあんまり説得力がない。韓国に至っては、日本の植民地だったわけで、別に戦争したわけじゃないし。
韓国から帰国して以降、自分が徐々に平和ボケしてきているのは、少しは自覚しているけど、少なくとも戦争で命を落とすのは、決して、戦略とやらを練っている参謀ではなくて、兵隊だ。あのころは、命の値段が安かったんだな、と思う。どうしてあんなに安かったんだろう。人の命よりも重いものって、あるんだろうか...なんて思うようになったのは、本当は、韓国から帰国してから徐々に、だ。韓国にいる間は、もう少し、微妙に異なっていた。人の命は大事だけれども、もっと守るべきものがある、って。今考えるとそれが何だったのか、あまり正しく思い出せない。
今朝、特攻隊経験者が話すテレビのインタビューを見ちゃったから、そんなこと思ってしまうんだろうか。個人の言葉は重い。何か理由をつけなければ特攻なんて行けなかった。あぁ死にたくないな、って思ったんだって。そりゃあそうだ。他人に命を差し出せという人には、ご本人も命を差し出すだけの覚悟が必要、なんじゃないか、って、そんなこと思ったりする。